はいどうも、食後のグダグダとした雑記タイムです。

さて、今回のテーマは、『御朱印帳を寺院と神社で分けるべきかどうか』です。
個人的には、「そんなの好きにすれば良いじゃん」って感じなのですが、それだと流石にミもフタもないと言いますか、ブログのネタにもならないので文字通りにグダグダと意見を書いてみます。例によってあくまで個人的意見ですので、他人様は他人様、自由にすれば良いと思います。そもそも、「こうしなければならない」といった規制があるわけでもないので、誰かがなにかを言ったところでそれは一意見、あるいはお節介でしかありません。ただ先に結論を書きますと、今まさに分けるかどうかで迷っている人は、最初から面倒事を避けるために「分けておくことをオススメします」といったところでしょうか。神仏混合の御朱印帳に対して、お小言を言う寺社もあるらしいので。私は幸いにして、言われた経験がありません。

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とりあえずのところ、分ける理由とすれば、見栄えが挙げられるでしょう。寺院の御朱印は、仏様ごとに異なる揮毫や梵字印が入り、割と派手な感じになります。一方で神社の場合だと、基本的に神社名の揮毫と同じく名称の印が捺されるシンプルな傾向に。それらが同じ帳面に並んだときに受ける違和感が嫌だ、と言う人は分けて持っているでしょう。パリコレファッションの人と、上下しまむらの人が同じテーブルで飯を食っていたら、思わず「なんじゃあれ!?」と見てしまう感覚です。
逆に言えば、そういったことを気にしない人、あるいは現実的な話として、荷物を減らしたい人は神仏混合の御朱印帳で済ませているはずです。各々がなにかしらの理由なり考え方なりを持っているなら、分けても分けなくてもどっちでも良いし、神職なり住職なりになにかを言われたら、自分の思うところを述べて一発かましてみるのも良いでしょう。ただ・・・個人的に「それはどうなん?」って理由付けを見たことがあります。それは、「明治より前は神仏一緒だったんだから、分けないのが正しい」って意見。あのさぁ・・・今は平成の世ですよ。そんな風に「昔は~」ってことにこだわるなら、仏教伝来当初はそもそも御朱印の授与自体やってなかったんだし、集印自体辞めれば?、と思います。

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で、最後にお前はどうなんだということで〆ますと、私は「分けるべき」とか強い意見と言うほどの主張なんかは持っていなくて、単にカレーライスとハヤシライスが似て別なる物であるように、寺院と神社は宗教という同じ枠内ではありますが当然別物であると考えるので、寺院と神社の御朱印帳を分けて使用しています。他人にどうしたら良いかと聞かれた際も、その程度の説明で後は本人任せといったところです。